平和な日曜日
ということで、WGCブリジストンインビテーショナルは、後ろから来たハンター・メイハンが64を出し12アンダーで勝ちました。
これでライダーカップへのポイントが7位になって確定とか言っていたが、彼はライダーカップの年はいつも良いプレーしてキャプテンピックされる。
チーム戦には、あのパットが魅力ですね。(笑)
気の毒なぐらい、ナンバー1になる、ナンバー1になると騒がれたミケルソン。何が起こったのか・・・単にこれが彼らしい不安定さなのかも知れないが、最終日78。
ブッチ・ハーマンの勧めで44インチ、シャフトを硬く、20g重くした新ドライバーで臨んだ今試合。(画像は金曜日のミケルソン)
タイガーとどっこいぐらいフェアウェイキープが悪く、初日2日目は隣のホールから、ラフからとグリーンに打ってスコアにしていたが、ああいうのは永久には続きません。どうしたってセーブ出来ないときが出てくる。
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今週はグリーンが柔らかく(全米オープン以外毎週同じことを言ってる気がするが)、ミドルアイアンでもグリーンに止るからパターに火がついたのは、どんどんロースコアを出した。
3日目、宮本さんが62だったけれども、ちらっと映ってやはり良いストロークしてますね。(わたしは彼のゴルフをほとんど見たことがない)
オレンジボールを使っていると度々言われていた。宣伝になったろう。
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今週勝つかと思った、アーニー・エルスはまたどーしたんだろ。
今日76って・・・。
途中でCBSが、“Crash of Titans”(巨人の崩壊)とタイガーやミケルソンのスコアを並べていた。
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わたしはこの試合の初めのほうを見ていてローリー・マックロイが勝つかもと思ったのですが、それにはもうちょっとグリーンが読めてないとという感じだった。
68・69・69・69の5アンダー。
彼はもうすぐメジャーに勝つような予感がする。
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ゴルフはときどきTVに目をやる「ながら観戦」で、またまた練習に行ってきました。
新ドライバーは到着後最初に練習したときが一番飛んで、飛距離はだんだんしぼんで来たんだけど
、ちょくちょく行くのでウッドを打つコツが分かってきた。
ドライバーに限らず、ウッドはトップの位置で左脇の下の外側がピッキーンと突っ張るぐらいに伸ばして、それからダウンスイングに入るべき。(ま、自分のスイングなので、余人はどうか知らないが)
わたしの歳になると身体はどんどん硬くなり、スイングはどんどん縮こまる。それじゃあいかんのですね。
アイアンは練習が続いてる割りにいつも最初は当たらない。
今日はどうもグリップに不快感があって、クラブを顔の前に掲げ、左手からグリップの模様に合わせてしっかり握り、次は右手と基本を教わったときのように毎球グリップし直したら、
あら、見事に当たるじゃないの。わはは。
ディナーを約束していた娘から電話がかかったので、10数球も残っていたのに、隣の打席のコーリアンの父子連れにあげてランチョを出た。
11歳と14歳ぐらいか、初めてみたいでお父さんが教えようとしていたが・・・・・・・・・・・・・・・・。
孫のミュージカルの週末練習のあと、彼女の望みでピザレストラン。サンドウィッチ、サラダ、パスタもあり、全てが自家製。ピザは(インド料理の)ナンを焼くような釜で焼いていた。
どれも美味しかった。平均一品$12ぐらい。
孫は練習の前にお友達のお父さんのうちのプールで遊び、くたびれている。
右、料理が来るまで子供が遊べるようにピザの生地をくれる!わたしはまた生のまま食べるのかと仰天した。
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今日日本は長崎の原爆記念日ですね。原爆を語る人も少なくなっていると思うが、わたしは戦後生まれだけれども父方の叔母が長崎の原爆で16歳で亡くなっています。
父がその時の様子をしばしば語っていた。
女学校在学時で、戦争中は工場勤務に行かせられたのですね。
四方が天井までガラス窓の工場で、座って作業をしていた叔母はガラスが雨あられと降ってきて上体に刺さった。
放射能を浴びているから傷はふさがることがなく、治療は消毒だけだった。苦痛と痛みのあまり亡くなる前は正気を失っていたそうです。
1ヶ月生きて亡くなった。
父は福岡で仕事をしていたが、3回連続で妹が泣き顔で「お兄ちゃーん」と呼ぶ夢をみて、まだ原爆投下は知らなかったが上司に願い出て特別に休ませてもらって帰省したそうである。
玄関の戸を開けても線香の匂いがしなかったので、「まだ生きているな」と思ったという。
叔母は音を聞いて、「お兄ちゃん?お兄ちゃんやろ?」と布団から声を出したそう。
わたし達はほんとうに恵まれています。
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コメント
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私も戦争の悲惨さなどまったく知らない世代です。今日の話は、可哀想過ぎて涙がでます。
アメリカは今戦時中なんですよね。悲惨な目に合うのは一般人と末端の兵士たち。戦争をしようと決めた人たちは傷つかないんですよね。
早く平和になりますように。
投稿: hiro | 2010年8月 9日 (月) 21時07分
>hiroさん
自分がボケてしまわないうちに、記しておこうと思いました。
1ヶ月生きていたというのが可哀相で、わたしも書いていて涙ぐみました。
ナチのユダヤ人虐殺と共に原爆投下は、人類で最も冷酷で悲惨な殺人だったと思います。
戦争下とは言え、人間が人間に対してこれだけのことが出来るということを忘れてはならないと思います。
投稿: メリー | 2010年8月10日 (火) 01時52分
記事を拝見して胸が締め付けられます。
最後の一ヶ月はさぞかし苦しかったことでしょう。
実母が心臓病で余命一ヶ月と宣告されてからの苦しい日々を思い出しました。
平和なことほど幸福なことは無いですよね。改めて自分が幸せな環境にいると感じます。
投稿: PW好き | 2010年8月10日 (火) 19時55分
>PW好きさん
広島や長崎の原爆投下では悲惨な話がたくさんあるでしょうね。
消毒だけしかすることがないという治療に医者に連れていったそうですが、その様子も悲惨であまりに酷いです。
世界のどこかで常に戦争が起こっていますが、子供達を死なすことだけはしないでほしいと祈らずにはいられません。
投稿: メリー | 2010年8月11日 (水) 11時10分